カフェ

 昨日、お茶を飲みながらあれやこれやと楽しく話をしたことを書いた。お茶を飲みながら、というのが重要である。
 
 ハーバーマスの『公共性の構造転換』を読むと、ロンドンのコーヒーハウスに人々(といっても男性だけだが)が階級を超えて(ここが重要)集まり、コーヒーやチョコレート、紅茶を楽しみながら、議論をしていく。最初は文芸の話が中心だったが、やがて経済、政治に話題は広がる。階級を超えた存在=公衆が社会について論じる公論=世論の空間=公共圏がこうして誕生するのだという。17世紀末から18世紀初頭にかけての話である。

 20世紀においても、サルトルボーボワールがパリのカフェで議論しながら文化を発信していた話はよく知られている。
 
 カフェで喫茶店で友人と教師とお茶を飲みながら話をするというのは、したがってきわめて重要なことなのである。
 ガロが『学生街の喫茶店』を唄ったのは1972年だが、その後都心から郊外へ大学へ移転していく過程で、学生街が消え、喫茶店も衰退していく。その動きと学生の非政治化とは決して無関係でないだろう。
 最近になって、多くのカフェ・チェーンが生まれて流行っているが、10年後、20年といったタイムスパンで見た場合、公共圏の新たな展開を生み出すことになるのだろうか。

 ユルゲン・ハーバーマス(細谷・山田訳)『公共性の構造転換』(第2版)未来社、1994年

 ロンドンのコーヒーハウスについては、以下がいろいろと興味深いエピソードを伝えるが、アマゾンのenamina氏がレビューするように、読みづらいのが難。
小林 章夫『コーヒー・ハウス』講談社学術文庫、2000年