寿司屋で激論

 昨日の寿司屋での激論のテーマは、学長が示した授業改善の方策(9月17日の記事参照)。

 年配の教員(前学部長)は、いい加減な授業をやっている教員がいるのだから、学長が示した方策を受け入れるべきだと言う。私は先日の会議で主張したように、他の方策をまず実施すべきだと反論する。酒が入っている(向こうは日本酒、こちらはホッピー)ので、次第にヒートアップする。「教育、教育と言うが、いい授業がどうすればできるのか、わからないじゃないですか。研究、学内運営、学外活動等、やることが山のようにあるのだから、教育だけに時間は割けない。限られた時間で、いい教育をやる自信はない」などというと、「教育に自信がなければ、教員などやめてしまえ」と暴論をふっかけてくる。「失礼な発言はやめてください。教育について考えれば、考えるほど、自信など出てこない場合だってあるでしょう」と、声を張り上げる。間に挟まれた学部長は腕を組んだまま黙っている。

 学部長、前学部長が、学長方針を受け入れるのは、学長が行おうとしているいくつかの改革(その一つが授業改善の方策である)を利用して、学部の教学環境を向上させようと考えているからである。それは理解できる。学長が示した改革案のいくつかは私も賛成であるし、わが学部の教学環境は劣悪である。しかし、そこにあるのは教育ではなく、政治である。もちろん、学内政治を否定するほど子供ではないし、聖人君子でもない。けれども、それならば、ここは学内政治を優先すると言えばよい。教育論にすり替えるべきではない。それは結局授業改善につながらない。形式的なものに堕し、時間を浪費するだけになる。これ以上、無駄なことはやめてもらいたい、やるのであれば意味のあるものにしてほしい。つまるところ、以上が私の主張である。