海外で家庭教師・・・(3)

 家庭教師先の母親は海外赴任を喜びつつも、いつ帰国できるのか心配だったようだ。大企業の出世競争において海外赴任がどのような意味、どの程度の重みを持つのか知らなかったが、あまり長く海外にいると出世競争から取り残される不安があるらしいことはわかった。

 母親の関心の中心はもっぱら夫の出世と子供の受験で、勉強の合間のお茶の時間やときどきごちそうになった食事の話題もそれらがほとんどだった。

 父親は九州大学を卒業したらしい。母親がどこを卒業したか聞かなかったが、大卒であった。受験が大変なことはわかるし、重要なことも理解しているが、そこそこの大学を出た人たちが受験競争に振り回されることもないだろう、かなり能力があって難関を突破した人たちなのだから塾や予備校の情報に踊らされる必要もないような気がすると、言わなくてもいいようなことを一度母親に向かって言ってしまったことがあった。母親は「世間が悪いんです!世間がいけないんです!」と言い切った。なるほどそう考えるかと思ったので、それっきり何も言わずにおいたが、この母親とは分かり合うことはないだろうなとも思ったものだった。

 その後、夕食をごちそうになったときのことだ。父親の会社の同僚に話が及んで、中学生の子供が「○○さんは東大を出ているんだよね」と言った。母親がすかさず「東大を出ていても偉くはないのよ」と口を挟んだ。たまにはこの母親もいいことを言うものだと感心したが、すぐに「東大を出ていても会社で偉くならないとダメよ。会社でどれだけ出世するかが重要なの。出世する人が偉いのよ」と付け加えた。

 母親を褒めたことを即座に後悔、撤回し、この母親とは未来永劫分かり合うことはないと確信した。このやりとりの間、黙って食事をしているだけの父親が印象的だった。