ニューハーフとバツイチ

 昨日の「ニューハーフとIT企業」の記事を書いていたら、以前見た『給与明細』という番組を思い出した。

 さまざまな職業の(といってもいかがわしい職業が多いのだが)給与明細を紹介する、日曜深夜のこの番組をほとんど見ることはないのだが、1年ほど前に見たある回の内容は、きわめて興味深かった。

 ある医療系企業(主要業務は薬局)を紹介していたのだが、そこの従業員は女性、それも子供を抱えているバツイチの女性だった。

 バツイチという言葉が誕生したときに比べれば離婚は一般化したが、それでも子供を抱えたバツイチ女性の職探しは、そうでない女性や同じ境遇の男性よりも不利だろう。その意味で、バツイチ女性、とくに子供を抱えたバツイチ女性はマイノリティとして社会的に差別を受けていると言える。

 ところが、番組で紹介されていた企業は、もっぱらバツイチ女性を採用していた。なぜか?インタビュアーの問いに、社長(男性)は、次のように答えていた。

バツイチの女性、とくに子供を抱えているバツイチの女性は、一生懸命働くからです。」

 この発想はIT企業のニューハーフ社長に共通する。たまたまバツイチになったにせよ(ニューハーフであるにせよ)、それだけで彼女たちの持つ才能は否定されるわけではない。他の人たちと何らかの点で異なるにせよ、それだけで、彼女たちがすべての点で劣るわけではない。むしろ、そうでない人たちよりも他の点ではすぐれているかもしれない。同じ能力であればより一生懸命やるかもしれない。

 ニューハーフ社長もバツイチ女性を採用する社長も、1人の人間の能力をある一面だけで判断してはならないということを教えるのである。