ニューハーフとIT企業(2)

 昨日、あるニューハーフがIT企業に勤めはじめた話を書いた。「彼女」が勤めたIT企業は、社長、役員がニューハーフだった(ニューハーフでない社員もいる)。

 社長の話は示唆的だ。社長によれば、外面は男だけれども、内面は女性であるという人たちの生き方は、これまで2つしかなかった。1つは、我慢して男として生きていく生き方。もう1つはニューハーフバーなどで働く生き方。ニューハーフであっても、さまざまな才能を持っているはずだ。これまでの生き方ではその才能を十分に活かせない。ニューハーフの才能を活かすために会社を設立した。実際、急速に業績を伸ばしているという。

 これは単にニューハーフの会社という話に止まらない。ニューハーフやその他マイノリティを社会でどのように受け止めるかという問題に関わる。社長もニューハーフをマイノリティと位置づけていた。

 アメリカ社会と違って、われわれの社会は、マジョリティ、マイノリティを日常的に意識させない。意識させないのは、マイノリティがいないからではなく、マイノリティが彼らの意見を表明しても無力なほど少数であるか、マイノリティを(マジョリティにもマイノリティにも)意識させないような社会構造ができあがっているからだ。

 ニューハーフのIT企業での活躍は、この国におけるマジョリティ-マイノリティ構造を変革させるかもしれない。
 
 勤めはじめたニューハーフが営業に行って落ち込んだときの社長の励ましも良かった。営業に行っても、ニューハーフバーにいたときの話などニューハーフに関わる興味本位な話ばかりに集中して、仕事の話はほとんどされなかったと落ち込む「彼女」に、社長は次のように励ました。


 ニューハーフについて興味本位に聞かれることを「壁」と考えるだけでなく、「チャンス」と考えなさい。

 「背広を着た普通のおじさんが営業に行っても記憶に残らないけど、ニューハーフが営業に行ったら記憶に残るわよ。」