「『楽勝科目』をなくせ」と言うけれど・・・

 「楽勝科目」をなくせ、大学側授業向上目指すという記事を読んだ。
 こういう傾向は時代の趨勢だろう。うちの大学も早く手を打たないといけない、そう思うのだが、それでも「楽勝科目」をすべてなくすことがいいのか、どうか、よくわからない。
 
 例えば、講義科目には専門科目と教養科目(教育科目などとも呼ばれる)とがある。専門科目は確かに楽勝科目をなくすべきだと思う。相対評価を導入し、成績の比率を厳密にすべきだと思う。しかし、教養科目はどうだろうか。早稲田の政経の事例が記事に書かれていたが、政経の学生であっても、物理学や文学といった教養科目を選択的に履修しなければならない。これらについても、専門科目と同じ基準で成績をつけるのはどうなのだろう。むしろ、意図的に「楽勝科目」にして、楽しく学ばせてもいいのではないだろうか?(早稲田の政経が専門科目と教養科目とで基準を分けているのか、同じにしているのか、記事からわからないし、私も知らない。)

 それにしても早稲田の政経で、成績評価の割合や過去の試験問題をホームページで公開するとは驚きである。もともと学生にたいする教育を放棄していたような学部であったし、このような合意にとうてい到達できないような教員間の対立があったはずだからだ。

 私は学部時代に物理学を教養科目で履修した。成績は「優」であった。理由は簡単である。超楽勝科目であったからだ。担当していたのは、火の玉の研究や超能力を批判してテレビでも著名な物理学者であった。当時はテレビに出ていなかったが、授業は漫談調で抜群におもしろかった。試験もきわめて簡単な問題が出された。
 中学、高校と理科が苦手で、とくに物理、化学が不得意だった私が、それでもときどき一般向けの科学雑誌を手に取ったり、「サイエンスZERO」を見たりするのは、この物理学の影響が大きい。超楽勝科目であったが、超楽勝科目であったからこそ、教養科目として十二分な成果を上げたのだと思う。