研究の楽しみと喜び

 久しぶりに本来の専門の研究論文を読んでいる。
 私の専門は大きく、理論史的な部分と現実・現代分析の部分の2つに分かれている。学会報告や教科書執筆などは、もっぱら後者の部分に関わることが多い。共同研究も後者の観点から声がかかることが多いのだが、前者の場合もある。科研費の共同研究は前者の方だ。
 個人的には前者の方が重要だと思っているのだが、一部の研究者を除いて重要性を理解してくれない。

 今日読んでいたのは、前者に関連する外国語の論文だ。もっとも日本語の論文はほとんどなく、あっても意味のないものが多いので、必然的に外国語の文献を読むことになる。日本語の文献が少ないのも、この研究の重要性が理解されない1つの理由である。

 理論史的な研究論文を読むのは久しぶりで、最初はちょっととまどったが数ページ読んでいると、霧が晴れるようにいろいろなことが見えてきておもしろい。なるほど、そうか、と研究のアイデアがいろいろと浮かんでくる。

 さまざまな論文を読みながら、自分の論文の構想を練る、自分で知の世界を組み立てる、再構成する、そういった楽しみ、喜びを味わえるのが、研究者のいいところである。