ある先生の話(3)

 大学院入学後、第2志望ということもあって、一応その先生の授業もとることにした。受講学生は10名もいないので、先生の研究室で授業。
 初回の授業で、授業についての説明があった。当時、われわれの大学院の授業は、講義形式、専門書(日本語、英語)の輪読形式(各自の分担を決めて、報告、質疑応答)が一般的であった。10名もいない授業だと後者の形式が多かった。

 「この授業は講義形式で行います。」やる気が感じられない声で先生は話した。

 「内容は学部の授業で話しているものと同じです。学部時代に私の授業をとった人は同じ内容を聞くことになりますが、聞き手が成長していれば、学部時代とは違った内容として聞くことになるでしょう。」
 唖然とした。古典や大家の小説は確かに若いときに読んだ場合と経験を積んで読んだ場合とで、違った読み方がされる。しかし、この先生の授業には当てはまらない。何しろ内容も覚えていないのだから。
 こうして、1年間学部と同じ講義が話された。出席をとる大学院の授業では、途中で見切ることもできず、とりあえず1年間出席し続けた。いつも体調が悪そうで、聞き取りにくい声で授業をする研究室に一緒にいた、その先生の指導を直接受けていた2年生の女子学生の何とも寂しそうな顔が今も目に浮かぶ。